プロフィール詳細・経歴

心斎橋の占い師、現 道晶(げん みちあき)です。

心斎橋の占い師「現道晶」

ニックネーム:げんちゃん、げんさん。初対面でもげんちゃんでOKです!(笑)

1973年、大阪生まれ大阪育ち。
歴史とゲームとラーメン、ポメラニアンが好き。

2005年よりプロの占い師として活動をはじめ、北新地の占いバーやイベントでの鑑定、自宅鑑定を経て、大阪の心斎橋で2018年3月に個人占いサロン「現の部屋」をオープン。

完全予約制の対面鑑定のみで、ひとりひとりのお客様とじっくり向き合います。

特に妖しい服装も、変なオブジェも、水晶玉やらのグッズも持っておりません。
知識としての宗教には興味はありますが、特定の宗教にも団体にも属しておりません。

どこにでもいる、普通の大阪人です。ご安心を!

占い師の現
占い師の現
経歴詳細も見て行ってや~。前半は占いの事、関係無いけどね!

経歴詳細

1973年、和歌山生まれの父と大阪生まれの母の元、大阪南部の泉州地域に生まれる。

幼少期から高校卒業までは、どこにでもいる普通の子供でした。
心霊体験や霊感体質なんて欠片も無かった。
※ちなみに初恋は中学一年生。
その時に振られてできた傷は今も心に残っている(笑)。

1992年、高校卒業後、関西空港の開港スタッフとしてJ○Lの直系グループ会社に就職し、伊丹空港で地上勤務。その後、関西空港の開港と同時に異動となる。
伊丹・関西空港ともに、国内線、国際線を問わず様々な業務を担当。関西空港の開港スタッフとして、ガッツリ働いた事は、今もちょっとした自慢です(笑)

20歳の時に、大好きだった天野喜孝さん(イラストレーター)が描かれたタロットカードを本屋さんで見つけ、観賞用として購入。この時は、まさか数年後に自分が占い師になるとは思っていませんでした。

23歳まで関西空港で働いた後、DTPやWEBのデザイン関係の仕事に転職。
デザイン事務所で毎日のように徹夜で仕事をする日々を過ごし、約3年間で当時のDTPとWEB制作の力を身に着けた(今なら確実にブラック企業でアウトな会社でした)。

27歳の時、大阪市内でフリーのデザイナーとして独立。同時にパソコンスクールで、講師デビュー。
講師をする事によって、人に教える事や説明する事、勉強や進路の相談に乗る事などのスキルが日に日に上達。カウンセリングができるようになる。講師は約10年間続けました。

28歳の時、タロット占いができる友人に恋愛を見て貰ったら、ドンピシャで当たり、「タロット、スゲーっ!!」ってなる。
※ちなみに鑑定内容は、一回振られた後に付き合う事になると言うものでした。

これがきっかけとなり、自分も天野喜孝さんのタロットを持っている事を思い出して、自分の事や友人なども占い始めました

鑑定をすればするほど、「当たる、当たっている」と言われ始め、それからは、友達が友達を連れてくる状態になり、依頼があれば面識の無い人にも占いをするようになる。(無料だった事もあり、たくさんの人が来ました。)

30歳の時に父親が他界。無くなる2日前に「虫の知らせ」を受ける。(はじめての霊的体験だった)

その後もWEBデザイン等の仕事をしながら、占いを継続。

2005年(32歳)に周囲の後押しもあり、料金を頂いての鑑定を始め、占い師を名乗るようになる。
当時の占い場所は、フリーマーケットや喫茶店、公共のフリースペース、たまに自宅、出張鑑定もしてました。

2006年、WEBデザインの仕事をいただいていたクライアントさんから、大阪千日前の占いBAR「The Fool」のオーナーを紹介していただき、そこで占い師として働く事になる。
ただ、諸条件が合わずに、このバーでの活動は3ヶ月ほどで終了。

2007年、ネットで占い師募集を見て北新地の占いバーに応募。北新地の本通りにあった占いバー「M&K」と言うナイトのお店で、週3~4回、夜の10時から朝の5時までバーテンダー兼ウエイター兼、占い師として働く。

↓当時は「現」と言う一文字の名前でした。

現 道晶さん(@gen.michiaki)がシェアした投稿


2年近く働いたがオーナーがとんじゃって閉店。その後、マスターが新しくオープンしたお店「玉ねぎ小屋(占いBAR)」で同条件で働く。

北新地の占いバー「玉ねぎ小屋」2009年撮影。

北新地の占いバー「玉ねぎ小屋」2009年撮影。

この北新地の占いバーでの約三年間は、占い師としての転機でした。

マスターを始め、他の占い師の方々の鑑定を見る事で、占い師としての視野が広がったし、手相を覚え始めたのもこの頃でした。

お客さんのタイプもいろいろで、一般のお客さんはもちろん、クラブのお姉さんやママさん、大企業の社長さんやスポーツ選手、モデルさんや芸能人の方など、たくさんの方を鑑定させていただきました。
ついでに言うと、夜の世界(水商売)の大変さと面白さと、後は、まぁ、いろいろ知った。

2010年、通天閣さんのバレンタインイベント「第2回 チュー天閣 キス割キャンペーン」に占い師として参加し、通天閣内で1週間鑑定させていただきました。
ここでの鑑定がきっかけで、静岡や岡山などから来て下さる長距離リピーターができた。

2010年、昼と夜のダブルワークに限界を感じ、北新地の占いバーを辞める。

以前のホームページ
↑当時のホームページ。写真も痩せてるし若い。何より髪の毛がある(笑)。

その後は、自宅鑑定と出張鑑定を主な活動とし、快適高速バスVIPライナーさんのホームページ上で週刊占いの連載を持たせていただくなど、占い師としての活動の幅を順調に広げていく。
ちなみにWEBデザインの仕事は徐々に減らしていきました。

2011年、縁あって、某大手企業の化粧品部門の立ち上げメンバーとして仕事をするようになる。
占い師としては九星気学に興味を持ち始め、同時に自分が外した鑑定に目を向けるようになる。(なぜ外れるのかを考えるようになる。)

2013年、母親が脳梗塞で倒れる。まさに青天の霹靂だった。
母親は2日間意識不明だったが奇跡的に助かる。
ただし、脳の一部は完全にダメージを受けており、言語障害とマヒの後遺症が残ってしまい、介護無しでは生活ができない状態となった。

兄弟姉妹もいない一人っ子で、父親もすでに他界している為、母親の面倒を見るのは自分しかおらず、今の生活を全部捨てて実家に戻る必要がありました。
ぶっちゃけ、人生詰んだと思った。

2014年、母親の退院と同時に実家に戻る。実家の地理的に、集客が難しく占い師として活動するのが困難だった為、当時のホームページやブログなどは引っ越し時に全て削除し、鑑定を辞める事に。
今、思えばネット鑑定で生計を立てれば良かったと思いますが、当時はそこまで考えが回りませんでした(汗)。ずっと対面鑑定でやっていたので、占い=対面鑑定の思い込みがあったんですよね。

実家に戻って約一年。当初、主治医から聞いていた予想以上に、母親の容体が良くなり、付きっ切りにならなくても大丈夫になったので、親戚の協力を得ながら、占いよりも収入面が安定している普通の仕事を再開する。
占いは、僕のスケジュールに合わせられる友人知人とその知り合いのみ無料で鑑定を行ってました。

その後、さらに約一年間のリハビリのおかげで徐々に母親自身で、簡単な家事ならできるようになったこともあり、深く考えずに仕事を続けていたが、油断のせいか突発的に問題が起こることが多々あり、そのたびに仕事に穴をあけることも増え、やはり普通に仕事をする事の厳しさを感じる。

母親に何かあった時にそばにいたい、すぐにかけつけられるようにしたいと言う思いから、企業で働くことをやめ、時間に自由が利く占い師として再活動ができないか考え始める。

紆余曲折を経て、2017年、心斎橋で占い師として活動する事を決意し、仕事を辞める。本格的に準備を開始する。

そして、2018年3月、念願の占い個人サロン「現の部屋」オープン。昔より丸々太って坊主になって、占い師として活動再開!

占いサロン「現の部屋」までのアクセス

占いサロン「現の部屋」へは、地下鉄(Osaka Metro)の心斎橋駅(御堂筋線)、長堀橋駅(長堀鶴見緑地線)のどちらからでも徒歩3分でお越しいただけます!

改札を出ると、大阪心斎橋の地下街クリスタ長堀に直結していますので、雨の日でもほとんど濡れる事なくお越しいただけます。

※少し時間はかかりますが、難波駅(南海線、近鉄線、地下鉄)から徒歩でお越しいただく事も可能です。(徒歩15~20分)

心斎橋駅および長堀橋駅からの詳しい道順はこちらからどうぞ。

占いサロン「現の部屋」★完全予約制★
所在地:大阪市中央区南船場2丁目5-13 心斎橋スポット21-705号
最寄駅:地下鉄/心斎橋、長堀橋 徒歩4分

テキストのコピーはできません。